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2012年01月23日

小篠綾子さんってどんな人?

小篠綾子さんってどんな人?

・ファッションデザイナー
・コシノ洋装店経営
・昭和62年「アヤココシノ」ブランドを発表
・大正2年生
・平成18年死去

兵庫県加西郡西在田村若井
(現・加西市/父の実家)に生まれ、
3歳になる頃、岸和田に移る。

元々の姓は、小篠(オザサ)であった。

母・ハナは、
父・甚作が呉服屋店員として
出入りしていた鳳(大阪府堺市)の隅谷家の娘。

母方・隅谷家は
『他人の土地を踏まずとも、
隣の町まで歩いていける----
後に甚作の妻となるハナの生家、
隅谷家も、そんな庄屋の一つであった。

江戸時代には“炭谷”という表記だったというから、
もとは炭関係の倉庫を持つ
納屋衆の一人だったかもしれないが、

「大正名鑑」には、
家祖は江戸時代・貞享年間の小右衛門で、
農業で財を築いたという記述がある。

甚作が訪れた明治四十数年頃の鳳には、
隅谷家のようなお屋敷が何軒かあったようだ。

ハナは、明治二十二年四月、
隅谷小一郎(※小篠綾子母方祖父)と
リエ(旧姓・田川)の長女として生まれた。

弟の一人、
長男である秀直は、
跡取りとしてふさわしい教育を・・・と、
幼い頃は前述の尾上家
(※慶応年間に生きた当主・小次郎の妻の
実家・大阪長柄の尾上家)
で養育されたという。

他の弟二人は、
当時跡取り息子のなかった、
神戸の貿易商である小林家と
泉大津で造船業を営む林家に、
それぞれ養子に出されている。

顧客である隅谷家の令嬢に
手を出した甚作が、
勤めていた呉服屋を解雇され、
失職したことは想像に難くない。
入籍の一ヶ月前に父・長蔵が死亡し、
一人残ってしまった母・よねが待つ郷里の若井に、
甚作は新妻ハナを連れ、舞い戻った。

耕す土地さえ持たない甚作は、
一家を養うために、
どこかに出稼ぎに出たのだろうか?

ともあれ、ハナは姑と小さな小屋に暮らしながら、
一年後にまた女の子を出産する。
(※長女・千鶴子は生後20日で死亡)

その子には、
「一生、糸偏産業で食べていけるように・・・」
との願いが込められ、
綾子という名がつけられた。」』


岸和田高女(現・和泉高校)を3年時に中退/
コシノヒロコ・ジュンコ・ミチコ、三姉妹の母。












posted by まあさん at 19:58| Comment(0) | テレビ番組 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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